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北京一泊旅行(4)

24日の午後、“北京魯迅博物館”を見学した後、近くにある“白塔寺”に
行ってみることにした。

寺の近くに、野菜や総菜、生活雑貨を売る胡同(横丁・路地)があった。
生活感が溢れ、買い物客で賑わっていた。

一本路地を入ると、細い道が迷路のようになった四合院作りの住宅地。
行き止まりになりそうな路地を、あちらに曲がり、こちらに曲がり、やっと
寺に着いた。

北京には、チベット式の白塔が二ヶ所にある。
ひとつは北京で最も親しまれている公園“北海公園”の中にある永安寺
の白塔。
そして、もうひとつが、今回行った妙応寺の白塔である。
白塔の方が有名なので、妙応寺は、通称“白塔寺”と呼ばれている。

この寺はもともと、元代にフビライ・ハーンがネパールのアニグという職人
を呼び寄せ、8年をかけて建てられたものである。
フビライ・ハーンが亡くなった後の法会では、7万人の僧がここに参列した
そうである。

白塔は、台座が高さ9m、塔の高さ51m。
明代に火事に遭い修復、1978年にも修復された。
一時、別の場所に建っていたが、1999年に復元した。

白塔の下の木々には、チベット文字が書かれた布が飾られていた。
白塔が立派なので、全景の写真を撮りたかったが、大きすぎて近くから
では撮れず…。残念!

[白塔寺]
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帰りの電車の時間が近付いてきたので、地下鉄に乗って北京駅へ。
北京駅のホームには、新型車両の電車“和諧号”が二種類並んで
停まっていた。
北京・天津間とは、また違うタイプのこの車両、長春行きであった。

[長春行きの“和諧号”]
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この日の北京の夕方は、雲も多く蒸し暑く、一雨来そうな天気だった。
案の定、電車に乗ってから雨が降り出してきた。
それも激しい雷雨。
自分が乗っていた一等車両に、雷が“ボン!”と落ちてきた。
二度目の落雷時は、落雷音と共に、窓の外(すぐ目の前!)で激しい
スパーク!
その落雷により、一等車両だけ停電…(--;)
その後、乗務員が車両内を走り回り、大分経ってから復旧した。

[停電時の“和諧号”の車内]
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“和諧号”、結構、雷に弱いことを発見…。
雷の多い時期、大丈夫だろうか??
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by yuzitj | 2007-06-29 06:00 | 北京

北京一泊旅行(3)

24日、昼食後は地下鉄に乗って、阜成門へ。
駅から少し歩いたところに、“北京魯迅博物館”がある。

魯迅については、5月29日のブログにて↓。
5月29日 本「阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(岩波文庫)」

“北京魯迅博物館”は、北京にも住んでいたことのある魯迅に関する品が
展示されている。
魯迅ゆかりの品々ももちろん、自分が読んだことのある小説の直筆の
原稿など、とても興味深い。

魯迅が仙台にいた頃のゆかりの品も展示してある。
中学の教科書にも載っている魯迅の自伝的小説「藤野先生」。
小説の中に出てくる、藤野先生が添削したノートや、藤野先生の写真
などを見たとき、すごく魯迅が身近に感じられた。

[北京魯迅博物館]
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[「藤野先生」関連の品々]
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展示室のある建物の横には、魯迅が住んでいた家が残っている。
四合院作りの家の庭には、魯迅が植えた木が今でも元気に育っていた。

[魯迅故居]
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敷地内の本屋にて、博物館の本と魯迅の小説2冊を購入。
小説の方は、中国語の原文に日本語の訳付き。
ちょっとずつ中国語の原文を読んでみようと思っている。

[博物館で購入した本たち]
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(つづく)
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by yuzitj | 2007-06-28 06:00 | 北京

北京一泊旅行(2)

23日の夜は、朝陽公園西門近くの“8号会館”内にある、江南料理の
レストラン“孔乙己”へ。
“孔乙己”は、魯迅の小説「孔乙己」(主人公の名前でもある)から付けら
れた名前。
魯迅の故郷である紹興の料理や、紹興酒などが味わえる。

この店は、今年2月に出来た新しいレストラン。
江南地方をイメージしたのだろう、店内には池があり、内装がなかなか
凝っている。

江南料理を幾つか注文。
ちょっとだけ紹興酒を試しに飲んでみたかったのだが、瓶売りしかなく、
残念…。
江南料理を食べることに専念した。

紹興名物の料理は、“揚げ臭豆腐”。
中国各地、街角の屋台でも売っているが、その強烈な匂いで、なかなか
街角で食べる気にはなれなかったのだが、この店で初挑戦してみた。
匂いは食べているうちに慣れてしまい、辛味ソースやスイート・ソースに
付けて食べると、病みつきになる。

[レストラン“孔乙己”]
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[“揚げ臭豆腐”など、江南料理]
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どの料理も美味しくて、ついつい箸が進んだ。
結局、胸焼けするまで食べてしまった…(^^;)

翌日24日は午前中用事を済ませ、昼食は燕沙エリアにある“幸運街
(ラッキーストリート)”へ。
各国大使館が集まるこのエリアにある“幸運街(ラッキーストリート)”は
各国料理のレストランが並んでいる。

西洋料理も魅力的だったが、この日選んだお店は、“北海道ラーメン”。
またまたラーメン屋…。
北京に行くとラーメンばかり…(^^;)

[“幸運街(ラッキーストリート)”と“北海道ラーメン”]
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(つづく)
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by yuzitj | 2007-06-27 06:00 | 北京

北京一泊旅行(1)

6月23・24日は、北京へ。
23日土曜日の昼から、いつものように電車にて北京に向かう。

北京駅からは、地下鉄に乗り、東直門駅にて下りる。
駅から、西へ延びる“東直門内大街”を散歩してみた。

“東直門内大街”は、レストランなどが建ち並ぶ通りで、通称“簋街”
(“鬼街”)と呼ばれている。
“簋”とは、昔、祭事の際に食べ物などを入れた容器のこと。
この通りに、ゴチャゴチャとたくさん店が入っているという意味で付け
られた名らしい。
もうひとつの“鬼街”という名は、“鬼”の字が“簋”と同じ発音のため、
後から付けられた名であると思われる。

この通りは、レストランがズラ~ッと並ぶ通り。
(日本の焼肉レストラン“一番カルビ”などもある。)
だが、その中にポツンと“薬王廟”の門が残っている。

“薬王廟”とは、中国の昔の名医を神のように慕い、祀った廟である。
北京は十数カ所に“薬王廟”がある。
そのうち代表的なものが、東西南北に祀られた廟で、“東直門内大街”
にあるのは“東薬王廟”であった。

明の時代、貧しくて病院に通えなかった庶民は、“薬王廟”で病気回復
を祈願したそうである。
現在、門だけしか残っていないのはちょっと残念…。

でも、このエリアに今も病院や医学研究所が集まっているのは、“薬王廟”
の御利益を授かるためであろう。

[東薬王廟]
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“東薬王廟”から、もう少し西へ歩いて、チベット・カフェ“十相自在”へ。
“十相自在”は、チベットをテーマにしたカフェ。

ドアを開けると、大きなマニ車(筒の中に経典が入っており、1回まわす
とお経を1回唱えたことになる)が置いてあり、店の中には綺麗なタンカ
(チベット仏教の仏画)が飾ってあった。
各テーブルには、チベット語で書かれた雑誌や、タンカの画集が置いて
あって、見ているとなかなか興味深い。

オーダーしたのは、夏のお薦めメニューとして書いてあったキュウリ・
ヨーグルトと、トマト・ヨーグルト。
暑い日だったので、食べるとさっぱりしていて美味しかった。

[カフェ“十相自在”]
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ちなみに、お店の名前の“十相自在”は、仏教の縁起物のデザインの
ことで、7つの梵字と3つの図形を組み合わせたものである。

[“十相自在”のデザイン]
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(つづく)
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by yuzitj | 2007-06-26 06:00 | 北京

天津“中医学”

6月22日(金)は、天津の日本料理屋“京都小店”にて、中医学について
の講座があった。

講師の先生は、徐文波先生。
北京の“御源堂”の女医さんである。
徐先生は、北京中医薬大学を卒業後、中国中医研究院附属西苑医院、
日本の岩手医科大学産婦人科で中医師として勤めてきた経験がある。
日本での生活経験が8年あり、日本語はとても堪能。
日本にいる間、中医学に関する講演会を多数おこなったきたそうである。

[徐文波先生](写真は御源堂HPより引用。)
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講座のテーマは、“中医で体質改善”。
中医学についての基礎知識や、中医学から見た食べ物の知識、薬膳
についての説明があった。

中医学は、人と環境との調和、身体と精神とのバランスを診る医学。
健康な身体づくりには、日常身体に採り入れる食べ物が大切と考えら
れている。
中国の人々は、中医学のお医者さんでなくても、身体を温める食べ物、
身体を冷やす食べ物、病気になった時の症状にあった食べ物などを
とてもよく知っている。
日常生活に中医学の基本が根付いているからであろう。

日本人は中国人ほど食べ物の持つ性質についてあまり深く知らないが、
徐先生の話によると、日本の和食は中医学的にかなり考えられた食事
であるそうだ。
和食の王様“寿司”は、一見、身体を冷やす刺身が中心だが、身体を
温めるガリ、ワサビ、暖かいお茶などで、ちゃんとバランスが整うらしい。
刺身のツマ、シソなどは消化を助けたり、解毒作用があり、生の刺身を
食べる時は、必ず一緒に食べた方が良いそうだ。

この日の講座は、昼食付き。
講座の開催された日本料理屋さんでは、中医学から見てバランスの
取れている料理を用意してくれた。
(先生によると、身体を冷やす食べ物がちょっと多目だったようだが…。)
美味しく頂きながら、これはどういう作用があるのか、何と一緒に食べれ
ばよいか、ちゃんと先生が説明してくれた。
これからも、自分の体調と、食材の持つ性質とのバランスを考えながら
食事しなければ…。

今日聞いた話の中で面白かったのが、中医学的には、古い場所(北京
でいうと、天壇や故宮など)を訪れることも“気”を養うことになるそうだ。
先生の所では、診察後、漢方の処方箋と一緒に、“気”を養うことの
出来る場所に行くことも薦めているそうである。
確かに古い場所では、何かしらパワーがあるような気がする。
旅行に行って疲れるはずが、逆に元気になって帰ってくる時があるのは、
そういうパワーを貰ってくるせいかもしれない。
中医学では、そういうことまで考えているなんて…。
なかなか奥が深くて面白い!
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by yuzitj | 2007-06-25 06:00 | 天津

天津“オーストリア租界”

天津の海河沿い、かつてイタリア租界だった地区の隣には、オーストリア
租界があった。
イタリア租界を散歩した続きで、オーストリア租界に行ってみた。

海河沿いのオーストリア租界には、“袁世凱”の故居がある。
現在は、レストランになっていた。
天津には“袁世凱”故居が幾つか残っていて、これはそのひとつ。

“袁世凱”(1859-1916)は、河南省項城出身の軍閥政治家。
義和団事件の鎮圧で列強各国に名が知られるようになった彼は、直隷
総督兼北洋大臣となり、内政改革に努めた。
清朝滅亡後は、孫文のあとの中華民国の第2代臨時大総統に就き、独裁
権力を確立したのち、正式な初代大総統に就いた。
1916年、自ら中華帝国の皇帝の地位に就いたが、周囲や列国の帝位
反対に遭い、3ヶ月で帝位を取り消し、その3ヶ月後に急死した。

[袁世凱故居]
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“袁世凱”故居の向かいには、“馮国璋”の故居がある。
“馮国璋”(1859-1919)は、河北省河間市出身、北洋軍閥の一人。
北洋武備学堂を卒業、軍事教官となり、その後は“袁世凱”が引き立て、
出世した。
“袁世凱”死後、大総統に就任した“黎元洪”のもとで副総統となった。

清末~民国にかけて、中国の外交・軍事の舞台であった天津。
やはり歴史的重要人物の故居が多い。

[馮国璋故居]
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海河沿いのオートストリア租界だった地区を歩く。
ここ1~2年で、海河沿いが整備され、河岸公園のようになっている。
河沿いの洋館達も趣があって良い。

[オーストリア租界]
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でも、外国租界に対抗して、どこかに中国らしさを出したいのだろう。
オーストリア租界にある教会の前には、いかにも中国らしい塔と、戦車が
飾られていた。

[中国らしい塔(教会の手前)と、戦車]
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オーストリア租界の対岸には、天津の観光スポットである“古文化街”が
ある。
橋を渡ってからオーストリア租界を眺めると、洋館が並んでいて、ちょっと
素敵である。
後方の高層ビル群がなかったから、もっとヨーロッパらしい雰囲気が出る
のだろう…。惜しい!

[対岸から見たオーストリア租界]
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<おまけ>
現在、浅田次郎の小説「中原の虹」を読んでいる。
「中原の虹」の主要登場人物である“袁世凱”の故居を紹介したので、
“袁世凱”の腹心であった“徐世昌”の故居も紹介しておこう。

“徐世昌”(1855-1939)は、天津出身。
日清戦争時、“袁世凱”のもと、軍務についた。
1907年、東三省総督となる。
民国成立後、1914年、北洋政府の国務総理となる。
1918年に大総統に選ばれ、北洋軍閥の対立緩和を図ったが、失敗。
1922年、第一次奉直戦争で奉天軍が敗れたため、政界を退いた。
そののち、天津に隠棲、1939年に病死。

“袁世凱”の故居と同じく、“徐世昌”の故居も天津に幾つかある。
これは、そのひとつ。

[徐世昌故居]
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by yuzitj | 2007-06-24 06:00 | 天津

天津“イタリア租界”(2)

“自由道”と“民族路”の交差点中央には、“第一次世界大戦記念碑”が
建っており、周辺には素敵な洋館が建ち並んでいる。

この日、“民族路”の南側では、何かの撮影をしていた。
洋館をバックに、警察が犯人を取り囲むシーン。
何の撮影だったのだろう?

[イタリア租界(民族路)]
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“民族路”には、清末から民国時代の啓蒙思想家であり、政治家でも
あった“梁啓超”(1873-1929)の故居がある。

“梁啓超”は、“康有為”の弟子で、中国近代化を目指し、革新運動を
起こしたが、“戊戌の政変”が失敗し、師の“康有為”と共に日本へ亡命。
日本滞在中は、日本やヨーロッパの新しい思想を勉強し、新聞・雑誌を
発行して改革運動に邁進した。

2002年から、故居は書斎“飲冰室”と共に記念館として開放されている。
“銭幣博物館”(2005年にオープンした)も併設されているらしい。

夕方の散歩だったので、ここに着いた時、もう閉館の時間だった。
中が参観できず、残念…。
今度、早い時間に来て中も見学してみようと思った。

[梁啓超記念館]
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イタリア租界だった地区は、まだまだ素敵な洋館がたくさん。
道は広いが車は少なく、ゆっくり歩けるので、散歩にもってこいの地区
である。

“民族路”を曲がり、“民主道”へ入り、海河方面に向かって歩く。
すると、ある洋館の前に人だかり。
何か揉め事があったらしい。
警察が、何か不服そうな外国人に事情聴取しようとしていたが、外国人
の方は応じず…。
言葉の壁もあり、事態は平行線の様子。
しばらく解決しそうになく、自分はすぐその場を離れたが、あの後、どう
なっただろう?

[イタリア租界(民主道)]
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by yuzitj | 2007-06-23 06:00 | 天津

天津“イタリア租界”(1)

天津市内を流れる海河。
かつて、その南側に日本租界やフランス租界があったが、北側には
イタリア租界、オーストリア租界があった。

イタリア租界だった地区は、2006年2月、保護・修復の工事が始まった。
工事が完成すれば、アジア最大の“異国風情別荘群”になるそうだ。

6月17日、日曜日の夕方、イタリア租界だった地区を散歩してみた。
道路は石畳で、建物なども修復され、とても綺麗でヨーロッパのような
街並み。

[イタリア租界(民生路)]
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“民生路”から“自由道”に曲がる。
“一宮賓館”の1階に、古い切手・古いお金・使用済みテレカなどを売る
市場があるというので行ってみた。
市場は、狭い入り口で非常に分かりづらかった…。
中に入ると、古切手などの店が並んでいた。
店によっては、日本の地下鉄カードやバス・カードがある店も。
その店は、店主が福岡まで行ってカードを集めてきたらしい。

ひとつひとつショーケースやファイルを見せて貰うと、コレクターでもない
のに、何だか興味が沸いてくるから不思議!
綺麗な切手など、集めたくなってしまった。

[“一宮賓館”と、古切手などの市場]
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by yuzitj | 2007-06-22 06:00 | 天津

天津“粽子(チマキ)”

6月19日(旧暦5月5日)の“端午節”に料理教室があり、チマキ(中国語
で“粽子”)を作った。

チマキは、モチ米を竹(笹)の葉で包み、煮て作る。
中国の北方のチマキの具は、甘いものが主流で、ナツメや小豆餡を
具にしたものが多い。

小豆餡だが、中国ではキンモクセイの花を練り込んだものもある。
料理教室では、ナツメ、普通の小豆餡、キンモクセイの小豆餡の3種類
を作った。

チマキは昨年も作ったが、昨年は葉が大きかったので包みやすかった。
今年作ったチマキは、使った葉が細く、何枚か重ねて作ったので、ちょっと
難しかった。
なかなか上手く包めず…(--;)

包んだチマキは、圧力鍋なら20分、普通の鍋なら40~50分煮て、
冷蔵庫で冷やしてから食べる。

キンモクセイの小豆餡は、香りはきつくなく、食べるとほんのり香りを
感じる程度。
なかなか良い感じ!他のお菓子にも使えそう。

北方のチマキは、デザート感覚。
好みで砂糖をつけて食べる人もいる。
南方のチマキは、日本でも売っているいわゆる“中華チマキ”のような
感じで、竹の葉以外に蓮の葉で包んだものもあったり、具はお肉やハム、
塩漬卵など、おかずになりそうな具が多い。
(昨年は、お肉や塩漬卵入りのも作った。)

[作ったチマキ]
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中国のスーパーでは、この時期、冷凍チマキや、チマキ作りのための
竹の葉、具材がたくさん並ぶ。
近所のスーパーでは、チマキ・セールの横断幕が張ってあった。

[近所のスーパー]
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スーパーのチマキを買って食べるのもいいが、みんなでワイワイ集まって
作ったチマキは、やっぱり格別(^^)
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by yuzitj | 2007-06-21 06:00 | 天津

天津“端午節”

6月19日は旧暦の5月5日で、中国では“端午節”(端午の節句)だった。
“端午節”の起源については、以下のとおり。

紀元前、楚の国王の側近に、“屈原”(前340~前278頃)という政治家
がいた。
“屈原”は詩人でもあり、国と国民を思う気持ちが強く、人々からとても
慕われていた。
しかし、屈原は陰謀により、失脚させられ、国を追われてしまう…。
大国である秦におもねろうとした楚の国に失望した彼は、ついに川に
投身自殺…。
それを知った楚の国の人々は、川へ行って、船の上で太鼓を打ち鳴ら
して魚をおどし、更にチマキを投げて、“屈原”の体を魚が食べないように
した。
それ以降、“屈原”の命日(旧暦5月5日)には、ドラゴンレース(龍舟比賽)
をしたり、チマキを川に投げ入れたり、チマキを食べて、“屈原”を弔うよう
になったそうである。
(中国語での説明は、コチラ。)

“端午節”に近い日曜日(6月17日)、天津市でも海河にチマキを投げる
イベントがあるというので行ってみた。
私が河岸に着いた時、ちょうどチマキ投げが始まる時だった。

[チマキ投げ]
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[チマキ投げ](動画)


古代の服装(?)をした若者達が10人くらいで、3度ほどチマキを海河に
投げ入れていた。
中には、額に入った“屈原”の絵を持った男性もいた。
イベントが終わった後、グループの中の3人に声をかけ、写真を撮らせて
貰った。

[イベントのグループの若者達]
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現在、中国では韓国と共に、“端午節”を無形文化遺産にしようと活動
している団体があるらしい。
ネットで調べてみると、このイベントもその一貫の活動だったようだ。
若い人達が中心になって、古い慣習を伝えていこうとする姿に感動!

でも、宣伝不足だったのだろう。
天津の観光スポットである“古文化街”沿いの海河河岸でのイベント
だったのだが、そんなに観客はいなかった…。
なかなか面白いイベントだったので、もっとたくさんの人に見てもらい
たかった…。

<おまけ>
ちなみに中国のチマキは、こんな感じ↓。(昨年作ったもの。)

[中国の“粽子(チマキ)”]
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by yuzitj | 2007-06-20 06:00 | 天津