人気ブログランキング | 話題のタグを見る

天津“聶士成像”

2008年3月12日。
天津タワー(天塔)方面へ。
この日、相変わらず黄砂がひどく、天津タワーが霞んでいた。

[天津タワー]
天津“聶士成像”_a0101716_1133527.jpg

天津タワーの近くに、聶士成という人物の像がある。
像の土台の碑には、“聶忠節公殉難處”と書かれている。

聶士成(1836-1900)は、安徽省合肥出身。
同郷の李鴻章のもとで太平天国や捻軍鎮圧に従事、その後、フランス軍
や日本軍と戦って功績をあげ、直隷提督に昇進。
聶士成が率いる30営は天津近郊の蘆台に駐屯、ドイツ式の軍事教練を
行ったそうだ。

1900年、義和団の乱が起こり、聶士成は鎮圧に努め、京津鉄道を
保護した。
八ヶ国連合軍の侵攻を抑えるため、6月13日、天津防衛に就いたが、
7月9日、砲弾に当たり戦死した。
聶士成が殉死したのが、この像のある所なのである。
碑にある“忠節”は、後に贈られた諡である。

[聶士成像]
天津“聶士成像”_a0101716_1122337.jpg

天津“聶士成像”_a0101716_1122162.jpg
天津“聶士成像”_a0101716_11223549.jpg

『清史稿』によると、聶士成は「腹破れ腸出ずるもなお軍を指揮して前進
させた」そうである。
すさまじい愛国心である。


<おまけ>
3月12日はひどい黄砂だったが、翌日の朝は綺麗な朝陽を見ることが
できた。

[翌日の朝の空]
天津“聶士成像”_a0101716_11243830.jpg

天津“聶士成像”_a0101716_11245038.jpg

by yuzitj | 2008-06-12 09:26 | 天津
<< 天津“変身写真” 天津“瓷房子” >>