人気ブログランキング | 話題のタグを見る

承徳旅行(2)

承徳は、河北省北東部にあり、北京の東230kmのところに位置する。
燕山山脈にある承徳は、山に囲まれ、夏場は北京よりも涼しく過ごすこと
が出来るため、清代の皇帝が避暑地として過ごした場所である。

かつて承徳は、冬場も氷らない川が流れていたことから、熱河と呼ばれ
ていたが、1733年、雍正帝が父・康煕帝の生誕80周年を称えて、この
地を承徳(徳を承る)と改名した。

承徳駅からバスに乗って、承徳市北部にある避暑山荘へ向かった。
駅からはバスで10分程度。
バスは1元(15円)だった。

[バスの切符]
承徳旅行(2)_a0101716_9182265.jpg

避暑山荘は、清代、夏の御所として造営されたもの。
康煕帝が造営を命じた避暑山荘は、その後、雍正帝、乾隆帝の時代
にも造営が続けられ、89年かかって完成した。
清代、夏の間は、故宮ではなく、避暑山荘にて政務が行われた。
乾隆帝の時代には、他民族との融和を図るための宮苑ともなっていった。

避暑山荘の総面積は564万㎡、城壁の総延長は約10km。
頤和園の2倍、故宮の8倍の広さを持ち、中国に現存する皇宮では最大
のものである。
1994年に、世界遺産に登録された。

入場券を購入し、徳匯門から避暑山荘の敷地内に入った。

[徳匯門]
承徳旅行(2)_a0101716_9242854.jpg

門をくぐると広場になっていて、地元の人々が太極拳、体操、バドミントン
などをしていた。
地元の人々は、入場料を免除されているようだ。
あちこちで大音量の音楽がかかっており、朝からとても賑やか!

“中原に鹿を逐う(逐鹿:帝位を得ようとして戦うこと)”という成語があるよう
に、皇帝と鹿は切っても切れない関係。
だからなのか、避暑山荘の敷地内には、鹿がたくさんいた。
かつては皇帝の鹿狩りのために放されていたものだろう。
現在では、太極拳や体操をしている人々の間を、何頭もの鹿がのんびりと
歩いている。

[広場]
承徳旅行(2)_a0101716_945342.jpg

承徳旅行(2)_a0101716_9441974.jpg

[広場にいた鹿]
承徳旅行(2)_a0101716_9451814.jpg

飼っている鳥を持ち寄り、鳥の鳴き声を鑑賞する人々も。
せっかく綺麗な鳴き声なのに、大音量の音楽が邪魔だったのが残念…。

[鳥]
承徳旅行(2)_a0101716_9471298.jpg

避暑山荘は、宮殿区と風景区(山景区、湖景区、平原区)に分かれて
いる。
まずは、歩いて宮殿区に向かう。
宮殿区は、避暑山荘の南端にあり、総面積は4万k㎡で、現在は、宮殿区
全体が博物館となっている。
博物館の入り口となる外午門の前でも太極拳をしている人がいっぱい。

朝早過ぎて、博物館はまだ準備中だった様子…。
でも、すぐ中に入れてくれた。

[外午門]
承徳旅行(2)_a0101716_9553433.jpg

外午門に続き、内午門(後門)がある。
内午門には、康煕帝直筆の“避暑山荘”の額が掲げられている。

[内午門]
承徳旅行(2)_a0101716_9575252.jpg

内午門をくぐると、その先には、澹泊敬誠殿があった。
全て楠で造られているので、楠木殿とも呼ばれている。
主な政務は、ここで行われていた。
“澹泊敬誠”という言葉は、諸葛孔明が記した「誡子書」の一説に由来する
ものである。
 
 “非澹泊無以明志 非寧静無以致遠”
 
  澹泊にあらざれば、以て志を明らかにすることなく、
  寧静にあらざれば、以て遠きを致すことなし。
 
  無欲でなければ志はたたず、
  心穏やかでなければ目標を達成させることはできない。

[澹泊敬誠殿]
承徳旅行(2)_a0101716_10115393.jpg

澹泊敬誠殿の先には、四知書屋がある。
澹泊敬誠殿とは、遊廊で繋がっている。
四知書屋は、皇帝が澹泊敬誠殿へ行き来する際、休憩したり、着替えを
する場所であった。

[四知書屋]
承徳旅行(2)_a0101716_10162686.jpg

承徳旅行(2)_a0101716_1016458.jpg
承徳旅行(2)_a0101716_1017873.jpg

[遊廊]
承徳旅行(2)_a0101716_10173048.jpg

承徳旅行(2)_a0101716_10174989.jpg

四知書屋の奥には、万歳照房がある。
19の部屋があるので、十九間照房とも呼ばれている。
皇室の近侍が住んでいた場所である。
現在は、清代皇室の陶器などが展示されていた。

[万歳照房]
承徳旅行(2)_a0101716_10212065.jpg

承徳旅行(2)_a0101716_10222777.jpg

承徳旅行(2)_a0101716_10224484.jpg

承徳旅行(2)_a0101716_10225915.jpg

万歳照房の奥には、皇帝の寝殿であった煙波致爽殿がある。
建物の脇には、皇帝のトイレだった場所も示されていた。

[煙波致爽殿内]
承徳旅行(2)_a0101716_1034599.jpg

[皇帝のトイレだった場所]
承徳旅行(2)_a0101716_1035526.jpg

煙波致爽殿の東西両側は皇后の居室で、西側の西暖閣は、西太后が
住んでいた場所である。
西暖閣には展示室があり、西太后の生活用品などが展示されていた。
西暖閣の奥には、西太后居室がある。

[西暖閣]
承徳旅行(2)_a0101716_10295947.jpg

承徳旅行(2)_a0101716_10301718.jpg

承徳旅行(2)_a0101716_10311162.jpg

承徳旅行(2)_a0101716_10312972.jpg

承徳旅行(2)_a0101716_10315489.jpg

承徳旅行(2)_a0101716_1032135.jpg

[西太后居室]
承徳旅行(2)_a0101716_10324410.jpg

煙波致爽殿の奥には、二階建ての雲山勝地楼がある。
かつて乾隆帝は、中秋節などの時、一階で京劇を鑑賞し、二階から景色を
眺めて楽しんでいたそうである。

[雲山勝地楼]
承徳旅行(2)_a0101716_10375795.jpg

雲山勝地楼の裏にある岫雲門を出ると、宮殿区は終わりだった。

(つづく)
by yuzitj | 2007-09-07 06:00 | 中国
<< 承徳旅行(3) 承徳旅行(1) >>