“旧司令官官邸”の近くには、“旧日光堂書店”の建物がある。
洋風な建物が、目を惹く。 当時は素敵な本屋だったに違いない。 [旧日光堂書店] その近くには、段祺瑞の旧居があった。 段祺瑞(1865-1936)は、清の末期から中華民国にかけての政治家で 袁世凱が亡くなった後、北京政府の総理となったである。 彼は親日政策を採用し、日本からの経済的な支援を受け、亡くなるまで 旧日本軍と共に行動した。 門が閉まっていて中へは入れなかったが、門の上部から、中国らしい 門とは対照的な、可愛らしい色合いの建物が見えた。 [段祺瑞の旧居] 鞍山道から少し中に入ってみると、旧イギリス租界地にもあるような アパートが見えてきた。 [アパート] “旧芙蓉小学校”跡地に行ってみると、レンガ造りの建物が残っていた。 円筒形の通気排気口など、“旧天津商業学校・淡路小学校”の建物と よく似ている。 “旧芙蓉小学校”跡地は、現在、“天津市第十九中学”となっていて、 敷地内は大幅な改修工事が始まっていた。 中学の建物自体は新しく建てられたもののようだが、周囲の老朽化した 建物を改修するのだろう。 [旧芙蓉小学校] “旧芙蓉小学校”跡地の周囲を一周し、鞍山道に戻ってきた。 “小学校”跡地の道を挟んだ隣は、現在、消防署。 [消防署] 消防署の隣は、“旧領事館”があった場所。 現在では、領事館だった建物はすっかり取り壊されて、新しい建物と なっている。 [旧領事館] “旧領事館”の道を挟んだ隣が、“天津神社”だったところ。 租界時代は、ここでお祭りなどがあったらしい。 今はガソリン・スタンド。 どこか当時の面影を残した建物となっている。 [旧天津神社] “旧天津神社”を含む周辺一帯は、“大和公園”と呼ばれていた。 そこには、“公会堂”があった。 今は、1960年建立の劇場“八一礼堂”が建っている。 (ちなみに“八一”は“八一建軍節(人民解放軍建軍記念日)”にちなんだ ものと思われる。) [八一礼堂] “旧日本租界”であった地域の通りは、鞍山道をはじめ、暑い日射しを 避けるよう、木々が生い茂っている。 昔は、どんな通りだったのだろう? [“旧日本租界”の通り] (つづく)
by yuzitj
| 2007-06-02 06:00
| 天津
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