「天津租界の思い出」(豊田勢子・著)を読んで、日本租界地だった場所を
ゆっくり歩いてみたくなった。 向かったのは、旧日本租界のメイン・ストリート“宮島街”だった通り、 現・鞍山道。 タクシーでは何度も通ったことのある場所なのだが、歩いてみるのは 初めてである。 現在天津のメイン・ストリートである南京路と鞍山道の交差点の角には、 その辺りが日本租界だったことを示す唯一の日本風建物“旧武徳殿”が 建っている。 “旧武徳殿”は、日本人が柔道や剣道を練習する場所として1942年に 建てられた武道場である。 [旧武徳殿] その交差点から少し北上すると、“天津師範大学(甘粛路校)”がある。 ここは、租界時代、“天津商業学校・淡路小学校”だったところ。 当時、日本内地は木造校舎が主流だったので、鉄筋5階建ての校舎は 内地よりも立派な校舎だった。 この建物は、1976年の唐山大地震の際にも倒壊せず、屋上の円筒形 の通風排気口は、70年以上経っても錆びていないそうである。 [旧天津商業学校・淡路小学校] 周囲のレンガ造りの建物は、老朽化が目立ち、一部の建物は建て直し されていた。 [周辺の建物] 近くには、ラスト・エンペラー溥儀が、1927年から、満州国建国のため 天津を離れる1931年まで住んでいた“静園”があった。 そのような歴史的な建物であるにも関わらず、最近まで普通に人家と して何世帯もの家族が住んでいたらしい。 その結果、古い建物は荒れ放題になってしまったが、やはり保護すべき 建物として、天津市が改装に踏み切った。 現在、改装工事中で、中を見学することは出来ないが、扉が開いていた ので、中を少しだけ覗かせて貰った。 [静園] 改装後は、下図のようになるらしい。 (“北方网”2005年1月13日の記事より。) 記事によると、2005年3月末には完成していたはずなのだが…。 [静園の完成予想図] 租界時代は、日本の租界地と言えども、諸外国の租界地に倣ってか、 民家は洋風の建物だった。 もうかなりくたびれてはいるが、当時を偲ばせるような洋風な建物が 幾つか残っていた。 [洋風な建物] “静園”の近くには、“松坂屋”もあった。 当時デパートだった建物は、今でも洋服屋が営業していた。 [旧松坂屋] “旧松坂屋”の斜向かいには、“旧司令官官邸”。 ここは、溥儀が北京の紫禁城を追われてから“静園”に移るまで住んで いたところ。 孫中山(孫文)も、一時期、ここに住んでいたそうである。 この建物は“張園”と呼ばれ、現在、“天津京劇院”として使われている。 門の所には、日本租界の司令官官邸であったことや、溥儀のことは 書かれず、孫中山の居住遺址であることしか書かれていない。 [旧司令官官邸] (つづく)
by yuzitj
| 2007-06-01 06:00
| 天津
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