人気ブログランキング | 話題のタグを見る

天津“周恩来鄧頴超記念館”

5月5日は、“周恩来鄧頴超記念館”へ行った。

記念館を訪れる前に、まず周恩来が学んだ南開大学に行ってみた。
南開大学には、周恩来像がある。
像の下には、周恩来の言葉『我是愛南開的(私は南開を愛するもので
ある)』が刻まれている。

[南開大学 周恩来像]
天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_9223816.jpg

天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_9231016.jpg

南開大学からは散歩がてら歩いて“周恩来鄧頴超記念館”へ向かった。

周恩来(1898-1976)は、 江蘇省淮安県の出身だが、幼い頃、伯父と
共に天津に移り住み、南開学校(南開中学)で学んだ。
南開学校卒業後、日本へ留学。
日本から帰国後、南開大学在学中に“五四運動”が起こり、天津学生
運動の指導者として活躍。
その後、フランスへ留学し、中国共産党に入党。
その後、蒋介石のもと党指揮部にあたった。
国共分裂後は南昌蜂起に参加、長征など党と苦労を共にする。
西安事件の時には、党の代表として蒋介石の釈放と国共合作に尽力。
中華人民共和国が成立後は、毛沢東のもと国務院総理(首相)兼外交
部長(外相)に就任、数々の国際会議にも出席。
外交部長辞任後は、国務院総理として文化大革命において指導的立場
に立ち、中国初参加の国際会議“1954年ジュネーブ会議”に臨んだの
をはじめ、アメリカのニクソン大統領や日本の田中角栄首相と会談する
等、高い交渉能力を発揮した。
高い知性、温厚な性格で、信望の厚かった人物である。

鄧頴超(1904-1992)は、周恩来の妻。
周恩来とは、南開学校で出会い、その後、同じ政治家として志を同じく
する“同志”として共に歩むことになる。
周恩来を陰で支えながら、自らは生涯、女性の向上とリーダーの育成に
取り組んだ人物である。
周恩来と鄧頴超は、清廉潔白なおしどり夫婦として名高く、 今でも中国
の人々に愛されている。

“周恩来鄧頴超記念館”は、周恩来・鄧頴超が青年時代に学んでいた
南開学校をもとに1978年に創設。
敷地面積は6万㎡、建物の面積は150㎡。
記念館には、周恩来と鄧頴超に関する文献や写真、遺品等が展示されて
いる。
記念館の敷地内には、周恩来が使っていた専用機も展示されていたが、
周囲が工事中のため、近付けず、中を見学することが出来なかった…。

[周恩来鄧頴超記念館と展示物]
天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_10234481.jpg

天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_102466.jpg

天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_10253189.jpg

天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_10255833.jpg

天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_1026201.jpg

天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_10264556.jpg

天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_10271739.jpg

天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_10274337.jpg

天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_1123727.jpg

周恩来と鄧頴超の生前、身の回りを世話していた人々が2007年1月
7日、周恩来没後31周年を記念して、遺品43点を周恩来鄧頴超記念館
に寄贈した。
その遺品も見ることが出来たが、写真撮影は禁止。
人民網日本語版(2007年1月9日)」より、写真を転載させて頂く。

[周恩来と鄧頴超の遺品]
天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_1037887.jpg

天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_1037235.jpg
天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_10373626.jpg

記念館の東側では、大規模な工事が行われていた。
2008年3月5日の周恩来生誕110周年に向けて、面積約3300㎡の
中南海の“西花庁”(周恩来と鄧頴超が執務・生活していた家屋)の復元
工事らしい。
記念館が所蔵している遺品7千点は、この復元される“西花庁”に陳列
するそうだ。
建物と共に陳列される遺品は、また違った見応えがあるだろう。

周恩来は、自分の遺骨と灰を中国の3ヶ所に撒くよう遺言したそうである。
その3ヶ所のうちの1ヶ所が、天津の海河の河口だったようだ。(あとの
2ヶ所は、北京の密雲ダムと黄河の河口。)
その作業は、文革中だったため、人々に知らされることはなかったが、
その後、鄧頴超が亡くなったときは、人々に見守られながら、その遺骨
と灰はすべて天津の海河に撒かれたそうである。

[鄧頴超の遺骨と灰を撒いた船の模型]
天津“周恩来鄧頴超記念館”_a0101716_112531.jpg

今でも中国の人々(特に天津の人々)は二人を敬愛している。
愛国教育のせいもあるだろうが、これほど人々に慕われている政治家
は珍しいのではないだろうか?
by yuzitj | 2007-05-23 06:00 | 天津
<< 航空母艦“キエフ号” 天津博物館 >>