天津、覚悟社旧址(1)

李叔同故居及書法碑林を訪れた後、周恩来らが学生愛国運動の活動
拠点としていた覚悟社旧址へ行ってみた。

…と言っても、この覚悟社旧址、ネットで調べた住所だけでは場所が
とても分かりづらく、周辺をウロウロしてしまった…(^^;)
でも、何気なく入った団地内で、やっと見つけることが出来た。

覚悟社旧址のすぐ手前には、鄧頴超が主宰する婦人運動団体・女星社
の活動拠点もあったようで、女星社旧址と書かれた建物があった。
(現在は、天津市河北区発展史館。)
しかし中には入れず…。

[女星社旧址]
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女星社旧址の建物から、奥に入っていくと、覚悟社旧址と書かれた入口
があった。

覚悟社とは、五四運動(ヴェルサイユ条約の結果に不満を抱き発生した
中華民国時の北京から全国に広がった反日、反帝国主義を掲げる大衆
運動)後の1919年9月、周恩来が中心となって組織した学生の団体で、
中国共産党創設以前に初歩的な共産主義思想を広めた革命団体。
覚悟社には男女各十人ずつのメンバーがいて、中には後に周恩来の妻
となる鄧頴超も参加していた。

覚悟社では、革新の精神に基づいた機関誌「覚悟」を発刊。
周恩来の文章が載ったこの雑誌は、発刊と共に、各界の注目を集めた
そうである。
(ちなみに、中国語の“覚悟”は、日本語の“自覚・覚醒”の意味である。)

その覚悟社が活動拠点とした場所が、今では記念館として残っている。
青レンガ造りの平屋建ての建物は、幾棟かに分かれており、それぞれ
展示室となっている。

覚悟社旧址の建物は、1976年唐山大地震の際に壊れたが、1982年
に修復。
1986年の覚悟社成立65周年の際、中国共産党中央宣伝部により、
覚悟社旧址に天津覚悟社記念館を建立することが承認された。
1986年9月10日には、周恩来の妻・鄧頴超が記念館を視察し、扁額
の“覚悟社旧址”の字を記していったのだそうである。

[覚悟社旧址]
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(つづく)


<おまけ>
散策の途中で見かけた渋い門の小学校。
外側の門には、“天津鉄路職工子弟第一小学校”と書かれている。
その内側は、中国の伝統的な門構え。
でも、中を覗くと、小学校の建物は普通だった…(^^;)

帰宅してからネットで調べてみると、この小学校の創立は1918年なのだ
そうだ。

[天津鉄路職工子弟第一小学校]
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by yuzitj | 2007-12-14 06:00 | 天津
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