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天津、李叔同故居及書法碑林

先週、天気の良さに誘われて、空気は冷たかったが、バスに乗って、
天津散策に出掛けた。

行った先は、河北区。
バスを下りて歩いていると、練炭配達の自転車を発見。
練炭配達は、冬の風物詩。
炭は大気汚染の原因ともなっているが、安価な炭は未だによく使われて
いる。

[練炭配達の自転車]
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しばらく歩いていくと、造幣総廠と書かれた建物を発見。
昔はここでお金を造っていたのだろうか?
今では、洋服の店、焼き鳥の店、花屋などの小さなお店が並んでいる。

[造幣総廠]
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まずは、李叔同故居及書法碑林へ行ってみた。
李叔同(1880-1942)は、天津生まれ。(原籍は平湖。)
本名は文涛、別名は息霜、法号は弘一。
進士の家柄の生まれで、家族は塩商人。
詩、詞を作り、古い文字を研究し、書道・絵画・篆刻では類い希な才能
を持っていた。

日本への留学経験もあり、上野の美術学校で西洋画・音楽などを学んで
いる。
1910年に帰国した後は、天津模範工業専門学堂で図画教員として
勤務、その後天津から上海へ移り城東女学堂の音楽教員として勤務して
いる。
その後、革命運動にも関わりを持ちながら、多くの美術及び音楽の人材
を育てた。

1918年、39歳の時、杭州の大慈寺で出家。(法名演音、法号弘一。)
お寺を転々としながら、仏道修行に励み、数多くの著作を残し、世界的
に“弘一法师”と呼ばれ、親しまれた人である。

その李叔同の故居が河北区にある。
建物は“田”の字に造られた清代のもので、150年余りの歴史を持つ。
故居の敷地内には、李叔同が晩年に書いた書80点以上と、碑林には
たくさんの著名書家による石碑が並んでいる。

ネットの情報によると、上記にように書かれていたのだが、実際に行って
みると、前庭と思われる所しか入ることが出来なかった。
管理人室と思われる部屋には灯りが点いていたのだが、誰もおらず、
尋ねてみることも出来なかった…。

[李叔同故居及書法碑林]
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故居の前は割と人通りが多いのだが、中に入る人は少なく、そこは忘れ
られた存在になっているかのようだった。


<おまけ>
散策の途中、道端で見かけた果物屋。
今は柚子(日本の“ユズ”ではなく、“ザボン”)の季節。
大きな柚子が山積み!
柚子の実は、見た目がグレープフルーツのようだが、グレープフルーツより
酸っばくなくて、美味しい(^^)

[果物屋]
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by yuzitj | 2007-12-13 06:00 | 天津
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