天津“オーストリア租界”

天津の海河沿い、かつてイタリア租界だった地区の隣には、オーストリア
租界があった。
イタリア租界を散歩した続きで、オーストリア租界に行ってみた。

海河沿いのオーストリア租界には、“袁世凱”の故居がある。
現在は、レストランになっていた。
天津には“袁世凱”故居が幾つか残っていて、これはそのひとつ。

“袁世凱”(1859-1916)は、河南省項城出身の軍閥政治家。
義和団事件の鎮圧で列強各国に名が知られるようになった彼は、直隷
総督兼北洋大臣となり、内政改革に努めた。
清朝滅亡後は、孫文のあとの中華民国の第2代臨時大総統に就き、独裁
権力を確立したのち、正式な初代大総統に就いた。
1916年、自ら中華帝国の皇帝の地位に就いたが、周囲や列国の帝位
反対に遭い、3ヶ月で帝位を取り消し、その3ヶ月後に急死した。

[袁世凱故居]
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“袁世凱”故居の向かいには、“馮国璋”の故居がある。
“馮国璋”(1859-1919)は、河北省河間市出身、北洋軍閥の一人。
北洋武備学堂を卒業、軍事教官となり、その後は“袁世凱”が引き立て、
出世した。
“袁世凱”死後、大総統に就任した“黎元洪”のもとで副総統となった。

清末~民国にかけて、中国の外交・軍事の舞台であった天津。
やはり歴史的重要人物の故居が多い。

[馮国璋故居]
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海河沿いのオートストリア租界だった地区を歩く。
ここ1~2年で、海河沿いが整備され、河岸公園のようになっている。
河沿いの洋館達も趣があって良い。

[オーストリア租界]
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でも、外国租界に対抗して、どこかに中国らしさを出したいのだろう。
オーストリア租界にある教会の前には、いかにも中国らしい塔と、戦車が
飾られていた。

[中国らしい塔(教会の手前)と、戦車]
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オーストリア租界の対岸には、天津の観光スポットである“古文化街”が
ある。
橋を渡ってからオーストリア租界を眺めると、洋館が並んでいて、ちょっと
素敵である。
後方の高層ビル群がなかったから、もっとヨーロッパらしい雰囲気が出る
のだろう…。惜しい!

[対岸から見たオーストリア租界]
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<おまけ>
現在、浅田次郎の小説「中原の虹」を読んでいる。
「中原の虹」の主要登場人物である“袁世凱”の故居を紹介したので、
“袁世凱”の腹心であった“徐世昌”の故居も紹介しておこう。

“徐世昌”(1855-1939)は、天津出身。
日清戦争時、“袁世凱”のもと、軍務についた。
1907年、東三省総督となる。
民国成立後、1914年、北洋政府の国務総理となる。
1918年に大総統に選ばれ、北洋軍閥の対立緩和を図ったが、失敗。
1922年、第一次奉直戦争で奉天軍が敗れたため、政界を退いた。
そののち、天津に隠棲、1939年に病死。

“袁世凱”の故居と同じく、“徐世昌”の故居も天津に幾つかある。
これは、そのひとつ。

[徐世昌故居]
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by yuzitj | 2007-06-24 06:00 | 天津
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